ネット小説擁護論

電子書籍が誕生し始めてから、紙の本とネットのどっちがいいのかという議論が続いております。

第三者から見ると、熱くなっているのは、ネット側より、紙の本を書くことを生業にする作家や出版社、新聞社のようです。

こんな話題を出したのは、今日会社から帰ってきて、某新聞社の文芸欄を読んだからです。

そこには、つい先日、二人の有名作家が紙の本の可能性について公開対談をおこなった要旨が掲載されていました。

彼らは、もちろん紙の本擁護派です。

まず彼らの主張する紙の本の美点は、電子書籍にくらべて身体を使って読む分、内容をよく覚えられるという点。

書き込みながら読める点も、紙の本の方が優れていると主張しています。

しかし、彼らが特に強調するのは、紙の本をつくるのは手間暇がかかり、「結果をすぐに出せ」という経済優先の考え方と違い、短期的に元はとれないかもしれないが、貨幣で量れない価値を生み出す可能性があるということです。

複雑に考えることを嫌い、「うるせえ」のひと言で片付けてしまうネットのおそろしさにも苦言を呈していました。

それに対して、ネットは手間もコストもかけずに、誰でも自由に小説を発表できる点を非難します。

それはある意味民主主義的であるが、文学賞のふるいにかからない素人が小説や書評を書くのは、玉石混交になり、作品の評価をわからなくしてしまうのでよろしくないということでした。

ボクは紙の本をよく買いますので、その価値もよく理解しているつもりですが、彼らの主張はちょっと偏見がすぎるのではないかと感じました。

文学的な才能に恵まれ、頭も良い彼らと違い、ボクは帰宅して疲れた身体で作業服を洗い、寝る前のわずかな時間で拙いネット小説を書くような身分の人間ですので、彼らの議論に太刀打ちできるだなんて思っていませんが、ひと言、ネット小説擁護論を書かせていただきたいと思います。

まず、文学とは現在の貨幣では量れない価値を生み出す可能性をもっているので、経済優先の考え方でみるのはおかしいという点に対して。

それを言わせてもらえば、ネット小説も同じではないでしょうか。そもそもネット小説を書いている素人作家は、純文学の作家以上に金のために小説を書いているのではありません。

ひとそれぞれでしょうが、成果ばかりを求められる日常の労働から解放されるネットの世界で、楽しみだけのために小説を書き、ときどきコメントを寄せてくれる読者に感激し、それをエネルギーに創作を続けるささやかな楽しみを、いきなり一流作家とおなじ土俵にのせられ、実力のない者が自由に掲載できるネット小説なんてよろしくないと、なぜ否定されなければならないのか理解に苦しみます。

一流の作家だって、最初はいきなり一流の実力をもっていなかったはずです。
新人賞を苦労してとって、編集者や読者に育てられ実力を高めていったはずで、自分一人で一流になれたわけではないでしょう。

ネットだって同じです。読者に育てられ、実力をたかめ、その中からもしかしたら彼らの実力を上回る作家が誕生するかもしれません。

それをネットの世界は玉石混合だからおそろしいと決めつけるのは、新たな芽を育てるどころか、出る杭を打つような行為で、さらに文学の世界を偏狭なものにしてしまうような気がします。

そもそも文学とは、これまでに存在しなかったようなおそろしいものを書いてやろうというくらいの気迫が必要なのではないでしょうか。それをおそろしいから嫌だと避けているようだから、紙の本の文学(とくに純文学)が退屈になってきたような気がします。

また、紙の本は電子書籍に比べて頭に残らないという主張ついても、言うほどではないと思います。

もしそれが本当なら、なぜそう言っているお二人の本の内容が、彼らの知名度ほど、我々(少なくともボク)の記憶に残っていないのでしょうか。

紙の本であろうがネットであろうが、大切なのは自分の作品の可能性を信じて書くことのはずで、紙の本の売れ行きの悪さをネットのせいにするのは、金のために本を書いている本音を暴露しているようなものです。

最近、彼らの新刊書は書店を賑わすことはありません。彼らは現在、紙の本で稼ぐよりもどこかの大学の教授になって安定した生活を得ているようです。

経済優先の考え方はおかしいと良いながら、紙の本で勝負をする覚悟のない生き方に説得力を感じないのはボクだけでしょうか。




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弱腰は負けか?

通勤途上で時々すれちがう人で、絶対に道をゆずらない人がいます。

年齢は40~50代ぐらい。180センチぐらいの長身で、体つきは筋肉質。もじゃもじゃの髪の毛に口ひげをはやし、顔はいつも無表情。細い目は一点を凝視したまま微動だにせず、薄い唇はギュッと一文字に結ばれ、頑なに誰にもこころを開かない雰囲気をプンプンにおわせていて、見るからに異様なのです。

服装も変化に乏しいです。
いまの季節は、いつもよれよれのカーキー色のTシャツに洗いざらしのGパン姿。冬も同様に変化がなく、踊る大捜査線で青島刑事が着ていたようなカーキー色のコートをその上に羽織るというもの。
オマエはマンガのキャラか! と、つっこみたくなるくらい、いつも同じ服装なのです(同じものを何着ももっているのですかね)。

歩いている姿は、まるで「進撃の巨人」のようです。
両腕をだらりと垂らし、ノシノシと歩みを進めるのです。見れば、両足首には、スポーツ店なんかで売っている重りを巻いています。
しかし、何より特徴的なのは、絶対顔を上げない点です。耳にはイヤホンをつけ、うなだれてた姿勢を崩さず前進する様は、危険人物以外の何者でもなく、小生意気な男子高校生にすら素直に道を譲らせてしまうオーラがあります。

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過去に一度、その「進撃の巨人」に危うくぶつかりそうになったことがありました。
猛スピードで坂道をくだってくる男子高校生の運転する自転車をよけるタイミングと、「進撃の巨人」と行き違うタイミングが運悪く合ってしまったのです。
とっさに、肩をすくめて接触を免れましたが、本当に間一髪でした。
「おっと、すみません」
すれ違いざま、ボクは謝りましたが、巨人はこちらを一目もせず、「ちゃんと前見て歩け。ボケ」とボソッと文句を言い捨てて、そのまま行ってしまいました。
どっちが前を見て歩けだよ、と腹が立ちましたが、前に読んだ『人生は負けたほうが勝っている』(幻冬舎新書・山﨑武也著)に、危険人物に文句を言ってもろくな目にあわないから相手にするな、と書いてあったことを思い出し、怒りをおさめました。

偶然ですが、巨人の自宅を知ることができました。
彼の家は、通勤途上の土手下にあります。
住宅も彼と同様に、表情もクソもないものです。狭い敷地に築30年くらいの白壁の四角い家がドンとたっているだけ。また、狭い庭にも、手入れされていない植木が2.3本うわっているだけで、なんの華もありません。

この「進撃の巨人」は相当な筋トレ・オタクのようです。
いつか、夜彼の家のまえを通ったとき、二階のカーテンを開け、上半身裸で筋トレにはげむ彼の姿を目撃しました。
また、休日に、土手の道路をジョギングしている姿を何度も目撃しています。
その道路は道幅が狭く行き交うクルマと接触するリスクが高いので、大抵の人はそんなところをジョギングコースに選ばないのですが、我が道を行く彼にはそんな配慮はないようです。
通勤の時と同様に、多くのドライバーに迷惑をかけていても、平然と意に介しません。

こういう社会性のない人物は、ちゃんと会社でコミュニケーションがとれているのでしょうか。
ボクは彼がどんな会社につとめているか、興味津々になってしまいました。
しかし、勤務のある日は、一分でも早く会社にいって仕事の準備をしたいので、彼を追跡する余裕はありません。

しかしついに、追跡のチャンスが訪れました。
有給休暇をとったある日の早朝、そうだ、あの巨人の会社をつきとめてみようと思いつき、勤務日と変わらぬ時間に朝食をとると、いそいで自宅を飛び出し、いつも彼とすれ違うあたりの死角に身を忍ばせ、彼が姿を見せるのを待ちました。

彼はいつもと変わらぬ時間に現れました。
ボクは彼が目の前を行き過ぎると、10メートルほど間隔をおいて後をつけました。
こういうとき、地面から決して顔をあげず、前進するのみの彼の流儀は助かります。絶対に後ろをふり向かないので、とにかく追跡しやすいのです。
ボクはただ周囲にストーカーをしていることがバレないように、自然に振る舞うことだけを注意していればいいのでした。

ボクは、彼はどこかの小さな家具工房にでも勤めているのではないかと予想していました(誰とも口をきかず、もくもくと家具を組み立てる姿しかピッタリくる職業はありませんでしたので)。

しかし、予想は大ハズレでした。

彼はここらで最も大きな会社である、無線会社に勤務していました。
彼は、その会社の大きな門をくぐり、無愛想に守衛に社員カードをみせると、同僚の誰とも挨拶を交わさず、工場の奥へと消えていきました。
考えてみれば、大勢の工員のなかに混ざって、無言で流れ作業に勤しむ姿も、彼に合っているのかもしれません。

それにしても、彼は職場でもあんなかんじなのでしょうかね。
人間関係は、譲り合いのなかで良く構築されていくのだと思います。
それを、誰にも道を譲るものかという態度を職場にも持ち込めば、衝突ばかりで、敵を増やすだけになってしまいます。
そうなれば、出世もできず、会社では強者であるどころか、弱者として生きなければならなくなるでしょう。

頑として道を譲らないという態度の人物に合うと、ボクもときどきこっちも負けるものかと思うことがあります。
でも、そんなものに勝ったって意味がないし、けんかになっても損をするだけだと思うと、すぐに考えを改め、道を譲るほうを選びます。

この態度を、「弱腰」と思うかもしれませんが、歴史をみても「弱腰」だと思われるのを嫌って悲劇を招いた例をあげればきりがありません。

江戸幕府を弱腰だと非難した攘夷派が招いた悲劇をはじめ、その攘夷派がつくった新政府から逃げることは弱腰だという説に押され、悲劇の道を突き進んだ会津藩、第二次世界大戦であそこまで被害を拡大させたのも、弱腰は恥だという声の大きさに責任の一端があるといえるでしょう。

もちろん、現在の政治にも、道を譲るのを嫌うような、馬鹿な意地の張り合いがあります。
我が国も、挑発してくる近国も、反省がない、反省をした、と言い合っていますが、道を譲らず悲劇を招いたという愚かな歴史を、再び繰り返すようなことをしている点では、互いに学んでいないと思うのですが、どうでしょうか。

「奇妙な男、不思議な人物」トーナメント2位作品

ねじまき鳥と月曜日のガガ

十年ぐらいまえ、ボクは村上春樹さんのファンで、彼の全作品を読破していました。

そのなかで好きだったベスト3をあげますと、

1位 「午後の最後の芝生」
2位 「ねじまき鳥と火曜日の女たち」
3位 「めくらやなぎと眠る女」

となっております。
どれも短編で、村上ファンがあまり選びそうにないものばかりだと思います。

昨日、つまり7月15日(月曜日)「海の日」に、2位にあげた「ねじまき鳥と火曜日の女たち」のような出来事がありました。

その出来事を話すまえに、ちょっとその作品を要約してみたいと思います(「ねじまき鳥と火曜日の女たち」の内容を知らなければ、読者のみなさんも何がどう似ているのかわからないと思いますので)。

主人公は三十歳の男で、現在失業中。
かつては優秀で弁護士を目指していた。しかし知らないうちに歯車が狂い、弁護士にはならず、法律事務所の「専門的使い走り」のような役割で終わってしまった。
今は情熱もなくなり、弁護士を目指す夢もない。

主人公は妻とふたり暮らしだ。妻はデザイン・スクールで事務の仕事をしている。主人公が仕事を辞めても、食べていかれるくらいの収入をもらっているので、失業保険が切れないうちに次の仕事をさがせば生活に困らない。

物語は、妻が仕事にいっている最中、主人公が昼食のスパゲティーを作っているところからはじまる。

調理中に変な電話がかかってきた。
電話の主は知らない女。しかし女は主人公のことをよく知っているという。しかし女は自分の正体を明かしたがらない。主人公がそのことに触れると、電話を勝手に切ってしまった。

しばらくしてまた電話がかかってきた。
今度は妻からだ。妻の電話は、夫へのバイトの話だった。しかし主人公はその話をことわる。法律事務所への再就職にこだわっていて、そんなレベルの仕事はできないというわけだ。
妻は、それならば主夫にでもなればいいという。主人公はその提案に怒りもせず、「考えてみるよ」と答える。

妻は話を切り替え、猫を探してきてくれと依頼する。
妻の推測によると、猫は『路地』の奥の鳥の石像のある空き家の庭にいるという。
主人公は近所であっても、そんなところ知らなかった。なぜ妻が「路地」のことを知っているのかも不思議に思った。

外は初夏の明るい日差しが差していて、ネジでも巻くようなギイイイッという鳥の鳴き声がする。
その鳥のことを我々は「ねじまき鳥」と呼んでいる。妻がそう名づけたのだ。その鳥は毎日、我々の属する静かな生活のネジを巻きにくる。

主人公は猫を探すのに乗り気ではない。
どこへ行こうが猫の勝手だし、こんなのいい大人のする仕事じゃないと思っている。

買い物に行って帰ってくると、また例の女から電話があった。
その女はまた主人公のことを知っていると言う。
さらには、「あなたの頭の中のどこかに致命的な死角ある」と言い、そうでなければ主人公ぐらい能力のある人間ならば、今頃もっとマシな人間になっていると指摘する。
そして昔はアナタのことを好きだったと言った。

主人公はバカバカしくなって電話を切った。
再び電話のベルがなったが、今度は受話器をとらなかった。

二時少し前に猫を探しに、路地に行った。
その路地は、入り口も出口もない本来的には路地とはいえないような代物だった。
道幅1メートル程度、長さ二百メートル程度の路地は、家々の裏庭のあいだを縫うようにして続いている。
こんなヘンテコな路地を、どうして妻が何度も出入りしたのか見当もつかなかった。

主人公は汗をカキカキ路地の風景をゆっくり観察しながら歩き、ついに妻が教えてくれた鳥の石像がある空き家に着いた。

が、猫はいなかった。

主人公がタバコをくゆらしながら、しばらくその空き家の庭をぼんやり眺めていると、向かいの家の十五、六の女の子に声をかけられる。

女の子に何をしているのかと訊かれ、猫を探している答える。
それから猫の特徴などを説明すると、その女の子は見たことがあると言う。

女の子は、うちの裏庭は猫の通り道になっているから、ここで待ってみればどうかと提案する。
主人公はそれに甘え、女の子とならんでデッキ・チェアに座り、他愛もない話をしながら猫を待った。

しばらくすると、軽い眠気を感じた。目を閉じて女の子の声を聴いていると、目を開けて聴いているときの娘の声と目を閉じて聴いているときの娘の声は、まるで違って聞こえることに気づく。
いったい俺はどうしてしまったんだろうと思っていると、飼い猫の姿すら思い出せなくなっていることにも気づく。
夢うつつのなかで、あの女が現れ、「あなたの頭の中のどこかに致命的な死角があると思わないの?」と静かに言った。

目を開けると、娘はいなかった。
しばらく待っても娘は戻ってこなかったので、家にひきかえした。

夕方、電話のベルが鳴ったが、主人公は受話器をとらなかった。
ベルが鳴り止んだ後の余韻にひたっていたら、この世界が機械仕掛けのようなものに感じられた。
ねじまき鳥が世界のネジを巻くために一日一度やってきて、ボクはただ虚しく年をとっていくみたいだ。

妻は残業を終えて帰宅した。
夕方、少し遅くなることを伝えるために電話をかけたのになぜ出なかったのか妻に訊かれ、主人公は嘘をつく。
猫のことも訊かれたが、見つからなかったと答えた。

妻は風呂からあがると、電灯を消した居間の暗闇でひとりぽつんと座っていた。
どうかしたのか、と主人公がたずねると、猫が死んだのはあなたのせいだと、妻は責めてきた。
主人公は、君ほどあの猫のことは好きじゃなかったかもしれないが、いじめたことはないし、飯もボクがやっていたと反論する。
しかし、妻は「自分では手を下さずにいろんなものを殺していく」のが主人公の人柄だと言った。

猫がいなくなったのは、ねじまき鳥がお前のネジを巻かなかったからか、と主人公は問う。
主人公は今日を、出鱈目な年の、出鱈目な月の、出鱈目な一日だったと思い、台所でひとりビールを飲む。

ビールを半分ぐらい飲んだところで、また電話のベルがなった。
妻に出るように怒鳴ったが、妻は嫌だといった。主人公も断じて受話器をとる気はない。
いつまでも電話のベルは暗闇のなかで鳴り続けた。

以上が小説の内容です。

短くまとめるつもりでしたが、「要約力」がないので長くなってしまいました。

しかもボクは「理解力」が欠けているようです(ボクの頭のなかの致命的な死角はココか?)。
これだけ長々内容をまとめてみても、ハルキさんがこの小説で何を言いたいのかよくわかりません。

謎の電話の主が奥さんで、どんどん歯車がずれていく人生をたどる主人公から心が離れていき、夫婦が崩壊していくというストーリーではないかと解釈するのですが、だからそれを書いて何の成果があるのかわからないのです。
ノーベル賞の候補にあがるくらいの人なのだから、もっと深い意味があるに違いないと期待してしまうのはおかしいでしょうか。

ハルキさんの文はとてもわかり易いですが、内容は難解で一筋縄ではいかないのが特徴です。
簡単にわかってたまるかという世界を書くのが小説家というものだとある作家が言っていましたが、そういうことなんでしょうね。

そこで、今回似たような出来事があったので、自分もその世界を少し経験してみれば、ちょっとは何か得るものがあるのではないかと思ったわけです。

事件はお昼前に起きました。

ブログを書き終えて、ひと息入れに外に出てみると、車庫の前に猫の首輪が落ちていました。
その首輪には、「ガガ」と言う名前と、飼い主の電話番号が書いてありました。

さっそく、その電話番号にかけみると、近所の方が飼い主だとわかりました。

首輪をとりにきた飼い主は、「まだ猫は帰ってきていない」と心配そうに言いました。
家の中で飼っている猫なので、余計に心配なのでしょう。

飼い主が帰った後、ボクは独自に猫を探してみました。

家の裏にまわり、空き家となった裏のうちの庭を隈なく眺めていると、オナガが「ギイイイッ」とネジを巻くような声で鳴きました。

その時、そういえばこの感じ、村上春樹の「ねじまき鳥と火曜日の女たち」のなかの猫を探しに路地に入ったシーンに似ているなと思ったのです。

確か、あの猫の名前は、「ワタナベ・ノボル」って、おかしな名前だったな。
で、ご近所さんの猫の名前は、「ガガ」か。どうせ人名を使うなら、「レディ・ガガ」とフルネームにすればよかったのに。

ガガ+のコピー_convert_20130715182044

なんて思いながら探し回りましたが、小説と同様、猫は見つかりませんでした。

で、追体験をしてわかったことといえば、ねじまき鳥とはオナガらしいという収穫ぐらい(頭のネジでも巻けば、もっと賢くなるんですかね)。

それとも、もっと深い追体験をした「ガガ」なら消えた猫の気持ちわかるかも。

おーい!

ガガ
お前はどこにいるのだ?
ねじまき鳥はお前のねじを
巻かなかったのか?

飼い主が心配しているんだから、早く帰ってやれよ〜。




こんなカメの恩返しは嫌だ

久しぶりにカメムシを見ました。

枕元で。

夜中目が覚めて、ふと枕元をみたら、枕の間近に茶色い五角形のゴミみたいなのがあったんですよ。

なんだと思って目を近づけてみると、カメムシでした。

ギョッとしてしまいました。
だってカメムシって臭いんですよ。別名「屁こき虫」って言われるくらいですから。
雑学ですが、カメムシを瓶の中に入れ、わざと刺激し屁をこかし、急いで蓋をすると、なんと自分の屁の臭さで死んでしまうことがあるそうですよ。まさしく殺人兵器、恐るべしカメムシの屁です。

それにしても危機一髪でした。うっかり寝返りをうって、カメムシを刺激し屁でもこかれたら、大惨事になるところでしたので。

後は、これをどう始末するかです。

たいていボクは、捕まえた虫は外に放してやります。
「一寸の虫にも五分の魂」です。救ってやったら、どんなに喜ぶだろうかと想像すると、簡単に命を奪えません。ええ、たとえカメムシであろうとも。

というわけで、刺激しないようにティッシュでやさしくカメムシをつまむと、外に離してやりました。もう二度と戻ってくるんじゃないぞー。

一件落着です。
それにしても、キッチリ網戸を閉めてあるのに、どこから入ってきたんでしょうね。

カメムシを家の中で見たの子供の時以来です。あのときは、自分の布団と父親の布団の間に、ふざけて顔を挟んで遊んでいたら、いきなりカメムシが目の前をコソコソと這っていったんですよね。

あの時のカメムシは緑色でした。
カメムシにもいろんな種類があるんですね。

調べてみたら、「エサキモンキツノカメムシ」ってのは、背中にハートの斑紋があるそうです。
そんなかわいい容姿でいきなり臭い屁をこかれたら、余計に参ってしまいますね。
可愛い子ちゃんに、いきなり臭い屁をこかれるようなものですから。鼻がやられるどころか、百年の恋まで覚めてしまいますよ。

カメムシって種類によっては、益虫でも害虫でもあるそうです。
ボクの助けたカメムシはどっちなんでしょう?

でもどっちでもいいです。
カメムシが恩返しに竜宮城につれていってくれても、途中で臭い屁をこかれたらたまらないですから。残念!

カメムシ+のコピー_convert_20130717202312

演説は公平に

参議院選が近づいて来ましたね。
今日うちの会社にもある政党の立候補者が挨拶にきました。
その立候補者はサラリーマンで言えば65歳・定年間際のご高齢の現職議員。お供に、若手の二世議員をひきつれて来ましたね。

演説は社員食堂で、我々の唯一の憩いの時間である昼休みの時間を活用して行われました(毎度のことですが)
ご高齢にもかかわらず、熱弁でしたね。激しいジェスチャを交え、近くにいたお食事中のみなさんのランチに公平にツバが飛ぶくらいの勢いでしたから。劣勢だった前回に比べ、今回は過半数超の勢いがありますので、元気が違います!

自己陶酔の熱弁が終わると、次は全席をまわり食事中の皆さんと一人ひとり「よろしくおねがいします」と投票依頼の握手。

これもよく観察しているとおもしろいんですね。いろんな社員がいますので。

年の割に大食漢のKさんはマヨネーズギトギトの唇に満面の笑みを浮かべ立候補者と握手。いやぁ、さすがにブキミであちらさんもひいてましたよ。

筋金入りの共産党員のIさんは、握手を求められると、後ろに両手をまわし断固拒否。立候補者だけでなく、隣にいた女子社員まで困惑していましたよ。

そのほか、小泉さんは最近見ないがご存命なのか訊く人、生活が苦しいので子ども手当の継続はお願いしますと懇願する、「笑点」の座布団運びで有名な山田隆夫のように子沢山な人、原発再開はゆるさんと声を荒げる、いつもテレビとエアコンの近くを指定席にしている人など、バラエティ豊かでしたね。

立候補者も立候補者で、うちの会社のマドンナには他の人よりながく握手していた気が…。年は食っても、英雄色を好むってわけですかね。

朝礼で、「失礼のないように」って釘を刺されていたにもかかわらず、思いっきり失礼してしまいました。

それにしてもなんですな〜(「探偵ナイトスクープ」の桂小枝風に)
いつも思うのですが、会社が支援する政党の立候補者しか演説を許さないというのは、あまりよろしくないのではないでしょうか。
他の政党の立候補者に対してだけでなく、その特定政党の立候補者の演説を延々と聞かざるをえなくなる社員に対しても、公平さを奪うことになりますので。

しかし、スマホでも、カーナビでも年々進化していくのに、なぜ政治だけが退化していくのでしょう?
やっぱり政治家の質に問題があるのですかね。

こうした問題を是正するのに「定数削減」という手法がよく挙げられますが、それは十分だとは思えません。
なぜならそれは、人件費を削ることにはなっても、人材や議論の質を高めることにはあまり関係ないからです。

ならば、どんな手があるのか。
思いついた、愚案をいくつかあげてみたいと思います。

①60歳定年制=国民に定年制を強いるのなら、自分たちもそれを適用すべき。

②立候補資格試験=医師、弁護士より責任が重く難易度の高い仕事をする政治家が無試験というのは理解できない。

③与党過半数以上禁止=数の力による暴走政治を防ぐため。二大政党の状態が「ねじれ」で良くないというが、よくないのは、数の力が拮抗していることよりも、他を圧倒するいい政策がだせないことではないか。国会とは、そもそも暴力ともいえる数の力で議案を通す場ではなく、優れた政策の力、議論の力で、議案を通す場だと思う。

④当選者試用期間制度=会社と同じで試用期間が必要。仮選挙を行い、一年間その人の仕事ぶりを見るというフィルターを通し本選挙を行い、より優れた政治家を選ぶ。

⑤評価報酬制度=政治家になれば、みなおなじ給与というのはおかしい。在任期間は7割の給与を支給し、在任期間がきれたら、選挙に合わせて評価を行い、満額支給するかどうか決める。落選したら、5割に減額。

⑥投票評価制度=責任をもって議案を投票してもらうために、正式な文面に押捺して氏名を記入し、10年後、もし賛成したその議案の評価が低かったら、責任をもって賠償金を払うと約束させる。

厳しいかもしれませんが、以上のようなことをやれば、より緊張感をもって良い政治が行われるようになると思うのですが、どうでしょう。

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プロフィール

マウントエレファント

Author:マウントエレファント
アルパカとバラとスプリング、つまり春(おまえはルー大柴か)を愛するナイスミドル?なサラリーマンです。でも同僚には、そんな趣味、ばらしません。キモイっていわれますから。残念!(古っ!)

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